がテーマ: 人生

一番星

冬の木立に風が吹く
一番星の輝きだす頃
お日様に取り残されて
男はとうとう
肩をすぼめて立ちすくむ

野良猫がにゃあと鳴き
その瞬間に振り向いた男の
疲れた視線は魔法となって
野良猫を見事に射止める

互いに見つめ合うのは
男と女
ではなく
男と野良猫

猫の立派な長いひげに
ひゅるるぅとまた風が吹くと
男のそり残しの情けないひげにも
ひゅるるぅとまた風が吹く

それもまもなく
男は猫にさえまた取り残される
なんとしようにも
一番星は金星なのだ

卒業

何のために
今があるのか
何のために
自分があるのか
何のために
生きるのか
という不思議を思うときに
僕らは思い返すだろう
過ぎ去った
あらゆる今というときを
過ごしてきた
あらゆる自分という存在を
別れて
遠く会えなくなってしまった人たちの
それぞれの生き方を

何のために
という
ある時だれもが
立ち止まる不思議のために
僕らは思い返すだろう
時空を超えて動かない
人生の確かなものは
既に過ぎてしまったことだけ
確定と未確定の境に
自分があるということを
現実と夢との境に
自分の今があるということを

そうして
きらきらした
無性になつかしい光の向こうから
微笑みかけてくれるだれかに
ひとり
あきらめたように微笑みを返し
未確定の明日を信じ直して
きっとまた
歩き始めることだろう

だから 今
寂しさなんか胸に納めて
やさしい微笑みにしてしまおうじゃないか
よくある祝福の
言葉の代わりに

系図

どうしてお父さん
あんな夢
見させるのかしら
何か
あるのかしらねぇ
お墓のこと
ちゃんとしてくれてるのかしら

 十年ほど前に
 亡くなった祖父を
 母は今日
 夢に見たのだという

鹿児島に帰ってきたら?
今年は帰ってないでしょう
じいちゃんのお墓参り
親父と行っておいでよ
そのほうがいい

 帰郷を勧める私の言葉に
 母は三回ばかり
 うなずいてみせた

あんなお父さん
初めて見た
今日のお父さんたら
家に帰ってきて
疲れたぁって
台湾にいたときの家なのよ
ほんとうに疲れた顔で
へなへなって
疲れたぁって
小さく
座り込んじゃった・・・

 最後まで言い終わらないうちに
 母は声を詰まらせて泣きだしてしまった
 黙って母を見るうち
 今は一人
 遠くで暮らしている祖母の
 懐かしすぎる眼差しが
 どうにもこらえがたい勢いで
 私を強くかき回し始めていた

ああ ばあちゃん

幸せ

人は
よかったと思える
心さえあれば
いつも幸せに
暮らせるのではないかしら
そんな程度の考えを
僕はこねくり回していた

そんな折
さてもご無沙汰いたしましたと
気まぐれの達人
思い出係の風来坊が
僕のところに帰ってきた
そうして
かつては僕を占領していた
悲しみのすべて
丁寧に集めてございますと
誇らしげに言いながら
古ぼけた綴りを僕の前に置くと
大切そうにめくり始めた

僕は
悲しみを一つ一つ
確かめていった
そこにあるのは本当に
初めから最後まで僕のものだった
中にはときおり
胸につと蘇り
えいやとばかり暴れ出して
僕を弱らせる悲しみも
あるにはあった
けれど大概の悲しみは
やけにおとなしくて
小さな膝を抱えたまま
切なげに
こっちを見つめているのだ

 お前たちは
 こんな程度のものだったのか

僕は
ふいに人生の全部が
無性にいとおしくなって
幸せについて
もう一度初めから
考え直さなければならないと思った

長い列

「これは どなたの お葬式 ですか」

凍りつく吐息の向こうに
天は無意味なほど明るく
透き通っていた

「ほら あの方の」

持ってきて
そこに置いたばかりの
ちんけな水車が
さっき通りすぎてきた
入り口のところで
ちょろちょろと水を受けて
回っていたが

「どなたの お葬式 ですか」
「ほら あの方の」

受付の世話で
淡々と働いているあの方の
どんなゆかりの
葬儀だというのだろうか
僕は考えながら
そのまま列に運ばれ
立ち止まっては
また一歩
思い出したように
進んで行った

「どなたの お葬式 ですか」
「ほら あの方の」

あれは
葬儀屋の人ではないのだろうか
手慣れた様子で
あれこれと
ことを仕切っているとも見えるのだが
考えあぐねて振り返ると
僕の後ろにも
果てしない列ができていた

「どなたの お葬式ですか」

踏みしだかれた落ち葉が
僕の足下に乱れている
だれの葬儀なのか
僕には依然
わからなかった
それなのに
列に運ばれているうちに
僕はいつしか
やり切れない悲しみの中に
なぜか沈み込んで
どうすることも
できなくなっていた
もうどうでもいい
どうでも
いいのだ

「ほら あの方の」

泣きそうになるのを
どうやら堪えて
僕はおもむろに
答えてやった
そうしてただ
また一歩
動いてゆれる
長い列

人生

何ゆえの
体罰であろう
そんな風に
疑い続ける
自分がいる

こんな
自分のためになら
体罰にも
耐えていけそうな
気がする

泥だんご

泥だんごは
子どもの掌の上で
丹念に
丸められたあと
小さな手で
壊さないように
そっと並べられる
子どもは誇らしく
そして
透明な喜びに満ちて
笑う

すべては
忘却と現実とに
置き去りにされ
泥だんごも干からび
ひび割れてしまうと
子どもは
どこにも
もう見えない

泥だんごのかけらを
気づかず
知らず
踏みつぶして
踏みならして
だれもが日常へと
通り過ぎて行った

変身

君はある時
自分が既に自分の手には負えないくらい
女になってしまっていたことに
思い至るであろう

少女は大人の女を
長く夢見てきたであろうけれど
そうしているうちに
いつのまにか
自分の知っている自分より
大人に見られている自分を見つけ
何か途方もないことを
しでかしてしまったと
うろたえるであろう

やがて
自分の心をも持て余すようになり
君はある時
無口な湖に変身するのだ
冷たく澄み切った水は乱反射し
小波がその
傷ついた悲しみをそこ深く沈めて揺れると
もはや君は戸惑わない

湖に生まれたばかりの水の濁りが
自分を持て余さないための
至上の勇気だと信じ始めるのだ

道草

ランドセルを背負って
少年は
ついさっき送り出されたばかりだ
学校へと向かう途に
いつもと同じ
平凡な家並みが待ち受けて
少年に今日も教える
生きていくということの
ほとんどが繰り返しにすぎないことを

一方通行の細道
近づいてきたワゴンが
クラクションを鳴らしたのにはわけがあった

通勤時間帯の
裏道を通るサラリーマンにも
いくらかの良心は残っている
少年を驚かさないように
注意深く
手前から速度を緩めて行くうち
そのエンジン音に少年が気づけば
安全に通り過ぎることができる
それで良かった

少年は道の中ほどに佇んでいた
他の子どもらが遠くに歩いていたが
少年は一人だった
ズックの靴のつま先が
ためらいがちに動いている
煙草の吸殻が
一筋の煙をたち昇らせて
少年の視線を引きつけていたのだ

車の中からも
その煙は見えた
少年の可愛らしい好奇心に
サラリーマンは束の間微笑んだが
同時にクラクションを鳴らしたのだった

少年はぴくりと驚き
怯えた表情を見せて
ふらふらと道の傍らに寄る
ワゴンは一筋昇る煙をけちらし
また走り出した
確かではないが
サラリーマンはこのとき
タイヤが吸殻を踏んでしまわぬように
自分がステアリングをほんの少し
傾けたような気がした
それは道端によける少年の視線が
飽きたらず吸殻に注がれているのを
確かに認めることができたせいだ

少年がまた
一筋の煙の上へと
吸い寄せられていくのが
ルームミラーに映った
サラリーマンは
どこか後ろめたく
いたたまれない気になってくるのを
せわしく打ち消し尽くし
アクセルを踏み込みながら
呟いてみる

「さあ 何をしている
 急がないと
 遅れてしまうぞ……」

途上

飲んだっくれて
日が暮れて
誠心誠意
くれどおし
しらばっくれて
グレてみる

連れに逸(はぐ)れて
途方に暮れて
食いっぱぐれて
風が吹く
そぞろ歩きの
みちの上

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