時間は限りあるもので 個人の持っている時間は確実に減っていく 常に意識しているほど 無意味なこともないけれど たまにはどうしても 思ってみなければならなくなる 《何をしている 時間は過ぎるぞ》 それは 自分の過去が 証明してくれただけでも十分なのに 現在という 唯一コントロールが及ぶはずのものまでが ある時すまして その事実を突きつけたりもする 《何をしている 時間は過ぎるぞ》 もういい とっくのとうにわかっている なんにしろ やるだけやってみるより他に ないんじゃないか たいがい行き当たるのは そんな程度の いい加減
イチゴ
真夜中 暗い部屋のなかで わけの分からないことを 相部屋の二人が 楽しそうに 会話していましたので 私が それってどういうこと と訊いてみたところ 返答はありません 耳を澄ますと すやすやと 二人とも静かな寝息を 立てていました 次の日 確かめてみたところ 二人の記憶には 内容どころか 会話していたことさえ 残ってはいなかったのです たしか イチゴに関する真剣な 会話だったような気がします 何が問題になっていたのか それは忘れてしまいましたが 謎をかけられた私は 闇の中に一人取り残されて しばらく眠れず ぼんやりと考えるうち やがてうやむやに 眠りに落ちて行ったのでしたが
記憶
車で 少し外に出かけたとき 助手席で母が泣いた だからその時は 父の 偉かったところなんかを 語り合ってみた 父は 病床にあっても 絶えず母や私の身を 気遣っていたし 決して周りのだれかに 辛く当たったりすることも わがままを口にすることも なかった 言い出したら 強情だけど この十年くらい ほとんどのことを 母が言うとおりに 子供みたいに 素直に受け入れていた 母が交通事故に遭って 長く入院していたあいだも 文句ひとつ言わず せっせと病院に通いながら 買い物や家事を立派にこなし 私の面倒まで よく見てくれた 《優しい 人 だった なぁ もう 少し 母と 過ごせる 時間が あればよかったのに》 そう思ったが 口には出さずに 私はそのまま黙りこんだ 母も 黙りこんで 遠くを見ていた
結び目(亡き父に)
最後に入院する少し前 力無げな声で 「疲れたから休んでいるんだ」と 座り込んだまま答えたあなたの姿が 私の中によみがえって 静かに微笑みかけてくれるけれど 私はあなたの そんなにも優しい表情に いつになったら 微笑み返せるんだろう 限りある時間のひととき 小さな庭木の一本にも あなたは視線を惜しまず遣って 本当はしゃがみ込むのもつらかったくせに だれもがかじかんで身をすくめる やりきれない木枯らしの中 日に日に頼りなくなってきたその手を きっと自分でもじれったく ぎこちなく動かして ひとつひとつ丹念に くくりつけていったんだろう 冬の邪な風が荒っぽく吹いても 倒れたりなどしてしまわぬように きちんと添え木を立てては 頼りない裸の枝ごとに 紐をゆるやかに巻きつけ 丁寧に結び目を こしらえたのだろうあなたの手 いつでも決まって 私の生きてきた傍らで あなたはそんなふうに いてくれたんだ 初めて買ってもらった 野球のグローブを取り上げられ 仲間たちにいじめられていた 夕暮れ時の広場 思いがけず 現れたあなたの顔を見つけるなり こらえていた涙が急に溢れだし 遮二無二 あなたの懐に駆け込んで 声を上げて泣きじゃくった 幼い日の私 あなたを思えば そんな遠くにまで 理不尽なほど 瞬時に戻って行ってしまうんだ 結び目はどれもこれも 切ないほど控えめに 置き去りにされたまま在り続ける そのひとつひとつ 無造作にあなたらしくて それだから ひたぶるに泣きたくなってしまうんだ
一番星
冬の木立に風が吹く 一番星の輝きだす頃 お日様に取り残されて 男はとうとう 肩をすぼめて立ちすくむ 野良猫がにゃあと鳴き その瞬間に振り向いた男の 疲れた視線は魔法となって 野良猫を見事に射止める 互いに見つめ合うのは 男と女 ではなく 男と野良猫 猫の立派な長いひげに ひゅるるぅとまた風が吹くと 男のそり残しの情けないひげにも ひゅるるぅとまた風が吹く それもまもなく 男は猫にさえまた取り残される なんとしようにも 一番星は金星なのだ
風邪
今日は みぞれがびちょびちょと降っていた 冷たくて 急に君がどうしてるのか気になって 息ができないくらい 悲しかった どうやら 風邪をひいたみたいだ
君と
いろいろあったみたいだけど 本当は何もなかったのか とも思われてくる ただ 何も始まらないまま終わってしまったと 今から思いなおしてみるには 確かに何かがありすぎたようでもある 私の夢は いつも裏切る たいがい ひどく切ないやり方で 私をうちのめすんだ ことごとく
卒業
何のために 今があるのか 何のために 自分があるのか 何のために 生きるのか という不思議を思うときに 僕らは思い返すだろう 過ぎ去った あらゆる今というときを 過ごしてきた あらゆる自分という存在を 別れて 遠く会えなくなってしまった人たちの それぞれの生き方を 何のために という ある時だれもが 立ち止まる不思議のために 僕らは思い返すだろう 時空を超えて動かない 人生の確かなものは 既に過ぎてしまったことだけ 確定と未確定の境に 自分があるということを 現実と夢との境に 自分の今があるということを そうして きらきらした 無性になつかしい光の向こうから 微笑みかけてくれるだれかに ひとり あきらめたように微笑みを返し 未確定の明日を信じ直して きっとまた 歩き始めることだろう だから 今 寂しさなんか胸に納めて やさしい微笑みにしてしまおうじゃないか よくある祝福の 言葉の代わりに
無駄な考え
幸せのために、 必要なのは勇気。 (それに対して、あなたが好きなのはケーキ) 色んなことを乗り越えるには、 本当は勇気が一番 大切さ。 (それに対して、北海道の屋根は大雪山) だけど、へなちょこにはなかなか、 その勇気が湧かない。 (それに対して、私がUFOを見たのは稚内) だから、時々だけど、 幸せになれないときもあるのかな。 (それゆえ、焼きそばUFOっていうのもあるのかな) でも、今はあなたのおかげで、 毎日、幸せを感じることができる。 (それに対して、毎日は電話ができない) もっと、あなたを幸せにしてあげたいと思うけど、 どうやったらいいんだろう。 (それに対して、あなたはよくはぐらかしてくれる) その結果、へなちょこにはなかなか、 超弩級ウルトラスーパーシュールな良案とか湧かない。 (それに対して、私がUFOを見たのは稚内)
伝説
遠い昔 思い詰めた姫君が 叶わない祈りを抱きしめたまま 湖底に身を沈めてしまったという そんな伝説が どこにもよくある 月影が水面に映って 音もなく波に揺らめく夜 息を懲らして そっと目を瞑ると それが単なる伝説でないのが 悲しい光の雫となって ポタリポタリと 胸の中に降り落ちてくる