車で 少し外に出かけたとき 助手席で母が泣いた だからその時は 父の 偉かったところなんかを 語り合ってみた 父は 病床にあっても 絶えず母や私の身を 気遣っていたし 決して周りのだれかに 辛く当たったりすることも わが
結び目(亡き父に)
最後に入院する少し前 力無げな声で 「疲れたから休んでいるんだ」と 座り込んだまま答えたあなたの姿が 私の中によみがえって 静かに微笑みかけてくれるけれど 私はあなたの そんなにも優しい表情に いつになったら 微笑み返せ
手紙
純粋な少女のくれた手紙を 古いノートの間に見つけた 私の書いた小さな詩を とても素敵だと言ってくれたのだ ためらいがないどころか あんまり素直に心を打ち明けていて 私はなんだか今にも 優しい気持ちを誘われてしまう あの娘
宛名書き
年賀状の宛名書きを パソコンで手伝ってやるのは ここ数年の私の習い 昨年の住所録を印刷して 母に渡してやると 一年前に頂いたお賀状の束と ひとしきり時間をかけて 照らし合わせている しばらくすると 私の部屋にやって来て
無題
生涯の 思い出は さりげなく ここにある ものだ
奈津子
「奈津子は初めからいなかった」 そう言っても 何も差し支えはないんだが…… 子供らに人生なんかを説いて 僕の人生が終わってゆく 終わってゆく 馬鹿げちゃいるが もしもの話 誕生したその時 終わっていたと仮定し
蛍
夏休みで田舎に帰った僕たちが 「ひと夏に一度そこで河童が足を引く」 とか言う神秘めいた噂をしながら 冷たい小川の淵で毎日泳いでいた頃だ あれはまだ 地球の温暖化なんか だれも言わなかった頃だろう 月の出ない真っ暗な夜 だ
少女
夏といえば 爽やかな色の 水玉模様のワンピースを着た 少女を思い出すのはなぜだろう そのくせ だれということもなく 顔なんかどうでもいいと考えながら 十歳くらいの少女の姿を思い浮かべている しかもだ やっぱりどこのだれか
ふん
ふん踏んづけちゃったら くさいよ ふんそのままにしないでよ 飼ってる人が片付けてよ 近くに水道があればいいけどね なかったら ちり紙でふいてもふんくさいのがとれない 新しいやつだととくに
すべり台
カツカツカツツ 階段を上り そのてっぺんにある鉄のアーチに ゴツンとぶつけてイテテと思ったが だれも気づかなかったみたいなので 何もなかったふりですべり台を滑った あとからさりげなく 頭をさすったらたんこぶできていた