壊 れ た独楽でもそれなりに回る なんだか自分が回っている ようでこんなものさえ 捨てられない で い る

壊 れ た独楽でもそれなりに回る なんだか自分が回っている ようでこんなものさえ 捨てられない で い る
旧道のトンネルの中は
いつも暗く
ひんやりとしている
まるで永遠のような
その静寂の中を
ひときわ冷たい水の
雫の落ちる音が
響くとき
響くとき
少しだけ
時間の流れがひずんで
後戻りするんだが
後戻りするんだが
捧げられた「祈り」の分だけ
人々の生涯は
確かに幸せになって
きたのだろうか
信仰というものが
ろくにないんだから仕方も無いが
僕の場合にはどうにも
祈りという祈りが
いつもいつも
無力だった気もする
祈りというのは
限界にまで至ったときの
無意識の呟き
のことかしら
全力の果てに絶望がつくりだす
まじないのことば
のことかしら
言葉にもならぬまま昇華する
涙の結晶を天に送る
自然のしぐさ
のことかしら
いずれにしても
僕のはどうにも
効き目がないんだ
水平線がまあるく どうやったら見えるんだろう まだ本当には そう見えたおぼえがないんだ ないしょだけど
薄紙を張ったポイも ずいぶんと近代的になりましたがね 子供はやっぱり金魚すくいが好きと見える その小さな生け簀の 周りに小さい手を並べて 順番を待っていたりするにも楽しそうだ すぐに薄紙が破れてしまって ハイ残念でした と言われて一匹の金魚を渡される時 ちょっとだけつまらなそうではいても 子供はけっこう潔い そのときの子供の瞳には 確かに現実というものが 親しげに微笑んでいるのだ 本当のことを言えば 金魚すくいというものが 優しい表情の陰で 鋭くにらみつけているのだが…… (たぶん 遠い昔から)
ふん踏んづけちゃったら くさいよ ふんそのままにしないでよ 飼ってる人が片付けてよ 近くに水道があればいいけどね なかったら ちり紙でふいてもふんくさいのがとれない 新しいやつだととくに
夏の終わりには かみなりが虚勢を張って 「てやんでいっ!」 てなもんで自分を誇示する そんな時は 分かってやるに限る 分かってやるに!
雨のようなもので
どっちみちなるようにしかならないのだが
てるてる坊主を作ったり
雨乞いの神事をしたり
ずいぶん熱心にやってみたりするのだから
それも大真面目で
やってらんないくらい胸が痛むんだ
自分の仕事の意義を
何とか見つけ出さないじゃいられなくて
人間てけなげだ
俺らもけなげだ
けなげだけれど
やってらんないくらい胸が痛むんだ
雨の中を 上昇ってゆく煙が あんまりにも白くて 僕は 「見えること」と「見えないこと」との 価値の相違なんぞを考えている 見えている白さが 無限に 宇宙にまで 届くのではないのを 不思議なことのように思い詰めている 「正直」というものと それに反するものとの違いかと考えてみる 実は「成長」という一言で 説明し尽くされるものかとも考えてみる 少しくらいは 幸福と不幸との差があるのかもしれないと考えてみる 実体と虚体という違いではないことだけは確信している そうしているうちに 白さが見えなくなったその時 煙でなくなるのだということに 不可解さえ感じ始める そうして それが世界を包むことに思い至り 雨の降ってくるわけが 知れる気がした
へたをすると 馬鹿馬鹿しい芝居にだって 心の底から笑うようになる 心の底から泣くようになる あるいは どちらもできなくなる