その5
午前10時を過ぎると、ちらほらと子どもが池辺に集まり始めた。そして、いろいろな遊びが始まった。小さな広場は賑わっている。
この村は、都会からかなり離れている地理的条件もあって、素朴な遊びがまだ生きている。なわとび、めんこ、カン蹴り、ベーゴマ、チャンバラ、竹馬なども生きた遊びなのである。最近では、液晶画面を持つ携帯用のゲーム機で遊ぶ子どもたちも時にはいるのだが、村には専門のおもちゃ屋がないのであまり普及はしていない。ただ、おままごとをする女の子は、なぜかここにもほとんどいない。
そんな中で、最近、男も女も楽しめる遊びで流行っているのが、何といってもゴッコ遊びなのである。刑事ものや怪獣もの、スポーツものなどは正統派のゴッコ遊びと言えるが、ここに来て、料理番組やバラエティ番組、あるいはワイドショーねたを元とする、みょうちきりんなゴッコが流行している。テレビっ子たちだけに、何でもかんでも、ゴッコ化してしまうのである。そういう意味で、この村の子どもは遊びに不自由しないようである。
正午近くになって、1人の子どもが池の真ん中にある黄味がかった何かに気づいた。
「おい、みんな。あそこに何か変わったものが浮いておるぞ。見えるか。」
子どもたちが駆け足で集まってくる。
「何だろう。」
「何かな。」
子どもの想像は、現実との間に境界を必要としないものである。思ってしまえば、それは現実に等しくなる。
「緑色なら河童かもしれないけど、黄色いから違うかな。」
「鶏だって、ひよこは黄色いよ。子どもの河童かも。」
「黄色怪獣の話、だれも知らないのか。この池に住んでるんだぞ。」
「え、知ってる。・・・聞いたことある。」
「うん、俺も。俺、見たことある。ある。」
と誰かが言うと、皆も同調して、
「うんうん。あるある。」
などと同じような顔をして口にする。だれ一人知らないくせして、それを必死に隠そうと、ひきつったすまし顔である。そしてまた、だれかが言った。
「あれは悪い怪獣なんだぞ。」
すると、話はどんどんエスカレートして、早くやっつけないと村中の人々が残らず食われてしまうということになった。
「よし、今のうちにやっつけよう。」
「おお。皆、石をぶつけるんだ。二度と暴れないように退治するんだ。」
別に暴れたわけでもない怪獣に向かって、石つぶての雨が降る。ひとたび共通の敵を意識した子供たちの結束は固い。そして、精神が高揚し闘争心が燃え立つのは子どもほど激しいのである。男も女も区別なく、子どもたちは揃ってやっている。
ある子どもなどは、すっかり科学警備隊の一員になりきって、相手から来もしない攻撃を木陰に入って避けながら、しきりに、「敵はどうした。」とか、「味方のだれ某が殺られた。」とか、独り言まで言っている。
池の真ん中なので、子供たちの投げる石ではなかなか届かない。と言っても、例の黄色い物体に時々当たる石もあって、そんな時にはどっと歓声が舞い起こる。
石を投げて子供たちが疲れた頃になっても、少しも反応を示さないこの黄色い怪獣に、小さな戦士たちも飽きて来て、さらに悪意は募ってしまった。
ある子どもが、どこから見つけてきたのか、垣根に使う竹であろう、先の尖った竹槍のような竹の棒を持ってきた。
「これなら殺れる。」
「うわぁ、うんだな。それならきっと殺れるぞ。」
「うんだんだ。外すなあ。」
「よおっし、いくどおぁ。えいっ。」
力いっぱいに竹槍は投げられた。しかし、惜しくも的からは外れてしまった。投げた子どもに非難の声が浴びせられた。
「よし、俺も竹槍こさえて来よう。」
と言って、1人の子どもが駆け出すと、我も我もと、皆、消えた。もう午後4時を回っていた。
子どもたちは、自分の家やら竹林やらに行って、それぞれ工夫を凝らして竹槍を作り始めた。けれども、それぞれの作品が出来上がった頃には、既に夜になってしまっていたので、その後池辺に行った者は1人もなかった。