その3
ところで朝になったので、元気な子供たちは、ほとんど、村をはさんで池と反対側にある山の広場に集まった。ラジオ体操である。それぞれにカードを片手に、もしかすると、自分が今日のお手本に、前に呼ばれるのではないかと思って、ひやひやわくわくしている。
そして例のごとくラジオ体操が終わると、子供たちは我先にとスタンプを貰うため、指導係りのおじさんの前に列を作る。
その時のすばしこさこそ、子供の将来を占うものだと信じている母親は、毎朝木の影でその様子を伺っている。そして、万が一、自分の子供が最後の方になったりすると、家に帰って台所で泣いている。帰ってきた子供は、理由は分からないながら、自分がビリッケツになった日に必ず母親が泣いているものだから、最近は条件反射で連関したらしく、真っ先に駆けて行って先頭の方に並ぶようになった。
出遅れて最後の方になりそうになると、素知らぬ振りで、先頭の方に割り込んでしまう。それを見た日は、母親は台所でにこにこしている。子供が最近成長したのよと、野良仕事から戻った父親に向かって、母親は上機嫌である。そのため、この家庭は、現在とても明るいのである。
村中の男たちが、くまなく探し回っているにも拘わらず、村長の息子はまだ見つからない。捜索中の男たちは、昨夜眠っていないので、皆、眠たくて仕方ない。皆の目が赤いのにふと気づいて、もしかしたら仲間たちは結膜炎なのかもしれぬと勘違いをして、うつっては困ると逃げ帰った男までいた。当然、自分の目も負けずに赤くなっていたのだったが。
いいかげん眠りたいので、皆、不機嫌になってきた。
「誘拐されたのではないだろうかなぁ」
「その可能性はある。けんど、村長には金はないと思うがなぁ。」
「どうして。」
「してが、次の選挙が近いから近頃はどんどんバラ撒いてるようだぞ。」
「なんだぁ、おまえも貰っとったのか。」
「あ、おまえもかぁ。はっはっはあ。で、いくらもらった。」
「何の話をしてるだぁ、やめとけ。・・・んにゃ、いかん。こりゃあ、だれか恨みのある奴の仕業かもしれんなぁ。」
「おらも、そう思っておった。そうだとすっと、もう殺されちまってるかもなぁ。」
「おお、んだなぁ。殺されちまってるかもわからねぇ。」
「七歳か。たった七歳で死ぬとは、前世でどれほどの悪さをしたものかの。」
「村長の奴、年取ってからできた子供で可愛がっておったしの。金もずいぶんかけて育てておったみたいだから、七歳ぽっちで死なれたらこりゃあ大損害だ。」
「そういう問題でもないがな。」
そこに集まっていた村の男たちは、7名ほどであった。彼らの中には、話を聞きながらうつむいているかのような、他の皆の方から顔を背けて、傍らの石段にじっと座っている男がいる。もちろん、男は目をつぶって、うとうとと居眠りをしているにすぎない。
「いや、きっと違うぞ。こりゃあ、神隠しだ。神隠しにちげぇねえ。村長は五十歳にもなって、十八歳の嫁っ娘なんだ貰って、おまけに子供まで作っちまった。まだ今でも、嫁は二十六歳くらいだろう。あんまりいい思いをしすぎて、神様が罰を当てたんじゃわい、わっはっは。」
「何を言ってるだ。そりゃあ、おまえの妬みだろが。」
「妬みだと。妬みじゃねぇだろが、ただの冗談にちげえなかろうが。妬みとはなんだ、妬みとは。取り消せ。おお、取り消せぇ。」
「何、言ってるだ。妬んでるから、そんな冗談言いだすんだぜ。取り消さねえ。」
「取り消さねえだと。おらに喧嘩、売っとるのか。よーし、よかろう。」
「こら、やめとけっ。村長の息子探すんだろう。ちたあ、考えねえかっ。」
「うるせえ。こいつから売られた喧嘩だ。」
「いいやぁ、おら、喧嘩なんか売った覚えなんぞねえ。知るかい。」
「こら、いいから、やめとけて。」
「やめるも何も、始まってもねえもん、やめられねえべえ。」
「何い、抜かすか。さっきから喧嘩を売ってきたであろうが。人の冗談の揚げ足とってから。おらのかかあはもう36歳だがのう、天下一のかみさんだわい。妬む必要なんか、どこにあるってえんだ。」
「そうかの。揚げ足なんか知らねえがな。本当のことを言っただけだ。それなのに、いきり立って、なんだい、こいつは。寝不足で頭がおかしくなったのと違うかの。」
この男の分析は、あながち間違いではないのである。しかし、それは喧嘩の収拾をつけるのには、まったくと言っていいほど、効果がない。効果がないどころか、かえって逆効果になるときすらあるのが、喧嘩というものの本質であろう。こんな時にこそ、年の功がものをいうことになる。さいわい、それまで黙っていた村の世話役が、そこで待ったをかけたのである。
「もう、いいからやめにしないか。時と場合を考えようや。ふたりとも。なぁ。」
だからと言って、いきり立った興奮はすぐには冷めないものなのだが、ひとまず、口論は打ち切られることに落ち着く。
「なぁ、皆、さっきからずっと考えておったのじゃがの、あの息子、自分で家出したのと違うかなぁ。親との世代のギャップに苦しんだ末に家出をして、どこかでグレた仲間作って、無免許で暴走族でもやってんでねぇかな。」
「おい、しかし、それって、7歳の子どもがすることかの。」
「いやあ、わからねえぞ。」
「わからねって? わぁかるだろう。7歳だぞ。7歳。」
「非行の低年齢化が言われておるじゃろ。この間もニュースでやってたぞ、小学生が麻薬を使ってたとか。だいたい小学生が麻薬を使うと思うか。なあ、信じられないこともあるもんじゃろうが。そういう社会なんだ、今は。」
「信じられないことほど、身近では見過ごされる、ってとこかな。」
「それによくあるだろうが。親が偉いと子どもが非行に走るってパターン。テレビドラマでも古典的なパターンじゃあないかの。」
「古典的って?」
「ずっと前からあって今も繰り返し使われるパターンってこと。」
「うん、そうだな。確かに偉い親を駄目な子どもが困らせるというのは、現実でもよく聞く話ではある。」
「村長は偉い親かの。」
「まあ、たぶんな。」
「なんか基本的な質問で悪いが、偉いってのは何かの。偉いって村長みたいのをいうのかの?」
「よくわからんが、村長は村の中では金持ちの方だろう。」
「あんなところで、つまらねえ仕事して毎日暮らしてるんだからな。偉いって言えば偉いもんよ。」
「なるほど。」
「あの子どもは、そんなことできそうな子ではなかったようだがの。信じられん。」
「現実ってのは、信じられねえことばかりなんさね。」
「そうかのう・・・」
「ところで、今回の捜索には、ちゃんと手当てが出るんだろうか。」
「村長が出すだろう。そうでなけりゃ、筋が通らねえな。」
「警察なら給料もらっとるからいいが、わしらはいくら一所懸命に探し回ったって、金もらえる保証はないのか、もしかして。」
「ボランティアってことか?」
「ボランティアか。格好いいな。」
「馬鹿抜かせ。おらは絶対に日給を出して欲しい。なんでただ働きしなけりゃあならんか。おらの子を探してまわってるわけではない。村長の息子だろうが。村長の。」
「大丈夫。わしら掛け合って、それでも出さないって村長が言うようなら、断然ストライキすりゃいいや。」
「おう、それはいい。村役場の前でハンストじゃ。」
「それはいい。断固戦うぞ。権利は権利だ。」
「そうそう、まあ皆さん、そんなわけですからのんびり探しましょうやね。」
「んだなあ。」「んだんだ。」「んだっぺや。」
そんなわけで、眠たいながらも、村の男たちによる捜索は、一応続けられることとなった。