その2
その晩、村長の今年七歳になる息子が家に帰らないので、池の周りの村は大騒ぎとなった。村長は、自分の息子の帰りが遅いのは、たぶん今日が学習塾の日だからであろうと思って、夜十一時まで心配しないで待っていた。ところが、いつもなら十一時少し前には、塾の先生に送られて帰ってくる息子が、その晩に限ってあまり遅すぎるので、村長は心配になって学習塾に電話した。子供は学習塾には来なかったと伝えられた。
小さな村のことである。村の男たち総出で、村長の息子探しが始まった。もう時間が遅いので、子供たちは眠っていた。
この時間でも眠らない子供は、昼間も外で遊んだりしないで、一流私立中学校目指して、猛烈に勉強ばかりさせられている子供だけである。そんな子供の親たちは、自分の子供が、まさかラジオの深夜放送を聞くためだけに夜更かしをしているなどとはまったく知らず、今夜起こっている事件は学習の妨げになると信じてか、だれも子供たちに知らせようとはしない。
だから、ある家などでは、平生を装って夜十二時半になると、毎晩するのと同じように夜食のインスタントラーメンを母親が子供部屋に運んだ。その時も、例の事件のことは内緒で、色々励まし方もあろうものを、いつもと全く同じように、「ひでおちゃん、がむばってるね。」なんて声をかける。子供の方も心得たもので、そろそろ来る時間だとみると、ちゃんと勉強机に向かっていて、母親に答える。「うん、ありがと。」なんちゃって。
こんなわけで、村長の息子が行方不明になったことは、大人たちだけしか知らないままに、夜を徹する捜索の甲斐なく、とうとう、次の朝になってしまった。
一部の男たちは、まだまだ捜索を続けていたが、その他の男たちは家に戻った。それぞれの家で二・三頭ずつ飼っている農耕用の牛の餌のための新鮮な牧草を取りに行かねばならない。牛たちは、いつものように、藁と牧草を微塵切りにしてから混ぜ合わせた朝食を、さすがにキリンには負けるので首はやめて、牛らしくヨダレを長くして待っている。
近頃、耕運機を取り入れる家も増えたのは確かである。現にそういう家の男たちは、まだ帰らなくてもよいので、盛んに大声を上げて捜索を続けている。しかし、この村では、まだ牛を使っている農家が多い。
なぜ耕運機を買わないかといえば、新聞やテレビのニュースに時々出ているような、一家心中の恐怖に怯えているからである。
--耕運機のローン返済資金に行き詰まり、信販会社の執拗な取りたてに堪えかねて一家六人心中。--
それで、ここの保守的な農民たちは、まだ牛を使っているのである。