めぐみは僕に お返しなんかくれるなという 素直に甘えられる幸せの傍らで お返しをしたい僕の願いが べそをかきながら 迷子みたいに立ちすくんでいる
ポセイドン
夏は夕暮れ 透明なほど 肌の白い女が また頬を涙に濡らして 海辺に立った ゆりかごの 調べはカノン たれか知る 涙のゆくへ 風の伝ふる 静けきメルヘン 女は 遠くを見つめたまま 固く唇を 結びなおした それから なおもずっと 涙は流れ続けた ゆりかごに 時はまどろむ 小波の 寄せつ返しつ 彼方なる ノスタルジーの ポセイドンは 女に恋していた 切ないため息は 今日までに 幾度となく繰り返されていた けれども女は そのことに 永遠に気づきはしない それは風の音と ほとんど同じに すぎなかったのだから
手紙
純粋な少女のくれた手紙を 古いノートの間に見つけた 私の書いた小さな詩を とても素敵だと言ってくれたのだ ためらいがないどころか あんまり素直に心を打ち明けていて 私はなんだか今にも 優しい気持ちを誘われてしまう あの娘が どんな気持ちで手紙をくれたのかは あの時にだって分かっていた どんな気持ちで暮らしていたのかを 悲しいくらい私は知っていた 私の手元には 少女の純粋が今も残って 一つの勇気を与えてくれている あの娘の手元にも 私の書いた詩が まだ あるのだろうかしら
幻想
幻想を 危うく持ってしまう所だった 少年の頃 いつもいつもそれで悲しみ 私はそれが 不当にもその持ち主をいたぶることに 絶えず苛立たしさを感じたのだった それから私は 次第に幻想という奴を 持たない癖になっていた それが あの瞳! あの瞳に見つめられて 私の中には 蘇りそうになったのだ幻想が! 私は身の危険を感じて すぐさま あの瞳から 私の目をそらしたのだったが あるいはそれも 手後れだったか 今もずっと 見つめられているようで 私の目は もう一度確かめたい 思いの中を 漂いつづける
自然らしく
不安らしい瞳が 揺れながら僕を見つめる 何かを恐れている君のために 僕は大袈裟に決意する 宇宙よりも自然らしく 存在することを命にかけて 君の恐れているものは 僕であろう 友であろう そして 自分自身であろう 偽りであろう 裏切りであろう そして 信頼してしまうことであろう そこにあるためらいが そこにある君の瞳なのだ 世界の責任を 僕は一身に引き受け 空になり大地になり海になり ちっぽけな僕など 一切をやめてしまって 僕は大袈裟に決意する 宇宙よりも自然らしく 存在することを命にかけて
ロミオとジュリエット
ジュリエットは
ロミオがロミオであることを
どうしてと問い
家を捨て
名を捨ててくださいと
願った
互いの運命が
不幸な前提のもとに始まったことを
その時すでに知っていたからだ
僕は僕で
自分が自分であることに
どうしてと問うたことこそあったが
あなたが
今のあなたであることほど
僕には深刻ではなかったのだ
僕たちはだれしも
ようやく出会うその前に
それぞれの前提を身にまとい
簡単ではない存在になっている
生きているだけ
たくさんの鎖につながれ
予め決まったその長さの限り
僕たちは呑気でいられる
そこへやってきて
恋ってやつは理不尽だ
人が油断している隙に
何もかもお構いなしで
あらゆる鎖を
引きちぎろうと暴れ出すのだ
手に負えない勢いで
僕の中で暴れ回り
純粋に存在することを
僕に求める
呑気に飼い慣らされてきた僕は
自分にかけられた鎖を
見つめ直し
握りしめて
そのまんま立ちすくみ
途方に暮れる
真実と嘘と自分が
わからなくなる
ひまわり
少年には見えたかしら。
太陽を乗せて自転車は風となり
季節は秋を急ぎ
少年は振り向かない
ひまわりはただ
そっと
思うばかりだ
黄色の光
看板が斜めになり くすんだペイントの中にある黄色の 妙に鮮やかな光を放っているのが 実は君であるということを 僕はとうとう告げることなしに 今日まで時間を終えてきてしまった そうしてブリキの看板を きちんと立て直す術も持たず それでも黄色い光のところから 目を離せないまま ぼんやり見守り続け ほうりゃとばかりに 時たま思い出して自分の ずいぶんと色あせた情熱のかけらをちぎっては ばおんと看板にぶつけてみるのだ 心なしか 看板がまた斜めになる 光は一層鮮やかだが
ゆりかご
ゆりかごに揺られながら 僕はうっとりとしている 君の指の白さを眺めて どうしてあんなものが 自然によって生まれてくるのだろうなどと 呑気に思っている間 僕の中には 君の不思議がたくさんみなぎって 僕を満たすのだ ゆりかごは宇宙の 愛らしい償いである だから優しく僕を揺らし うっとりと僕をなぐさめる はらはらしながら ゆりかごの結末を予感しつつ 僕はただ うっとりとしている
御坂峠
開けた景色が見たくなって BMWで御坂峠に行った 学生時代 太宰さんのいしぶみを訪ねた 富士山と河口湖の 大きな景観 真っ暗なトンネルの手前 なんだか淋しいような気になる あの 御坂峠 「月見草」の碑の前に立ったら 二十歳の頃に愛した人を どうして失ったのかと ついといたたまれなくなって 天下茶屋の山菜そばを喰い 元気になったようなつもりで 帰ってきたが