霙の中を 卒園式帰りの母子が 傘をさして通り過ぎます 着飾った若いお母さんは 子供の制服の胸にあるリボンと ちょうど同じようなピンクの きれいなスーツを着ているのです 冷たい霙は 傘の上にもうっすら積もって 子供の黄色い傘には ちょっと重たそうに思われるのですが どうやらへっちゃらみたいに ぜんぜんお構いなしに 子供は飛び回って歩くのです 茶色い雨傘の中で それを微笑ましく眺めながら だれが立ち止まってみても 何者も気付きはしない! そういう春の昼下がり 冷たい霙は 一向に降り止みません 冷たい霙は 私の上にも積もっているのかと そうやって思い至ってみると それは何だか結構うっとうしく やけに重たく 道端でふと 何だか泣きたいような気分になって けれどまた もう一度歩きだすより他に 私にはなかったのです
東京特許許可局
誠に月並みですが 東京特許許可局 よく言われることなんですけれど 東京特許許可局 本当のところ私どもとしましては 東京特許許可局 なにぶん戸惑うことばかりなもので 東京特許許可局 時代時代と諦めればよさそうなものを 東京特許許可局 やりたい人がやればいいんでしょうが 東京特許許可局 お詫びといっては不具合もありますわけで 東京特許許可局 我慢がならぬと怒ってみたところで 東京特許許可局 結局のところにっちもさっちも行かず 東京特許許可局 鴬が鳴きます 東京特許許可局 鴬が鳴きます 東京特許許可局 鴬が鳴きます 東京特許許可局 東京特許許可局 東京特許許可局 ・・・・・・
地鳴り
眠気によっても 僕の宇宙への思いは何も 何ひとつも変わらず深刻なのだ 間もなく意識は薄れながら 今日の雑多ながらくたを遥か 向こうの山陰に埋め葬ろうとしている そうして僕の世界はまぶたの中で ようやく色彩を取り戻し始め 最大級の意味を与えられるはずなのだ それなのにどうだ やっぱり駄目だ 僕の宇宙への思いは何も 何ひとつも変わらず深刻なのだ がらくたどもが あるいは 存在を主張するその叫びか 地鳴りが止まない 地鳴りが止まない 地鳴りが止まない そのせいなのだ
亡命
彼の瞳に映る世界は
未来へと確かに漸進しているはずなのだ
ファシズムに立ち向かう
彼の精神は恐ろしく崇高いではないか
亡命を決意するまでの過程を今
つぶさに振り返ろうとも
その叫びも沈黙も捧げた自己犠牲も
全ては正義への願いに裏付けられていた
〈だからこそ余計 彼はその瞑眩に
自らの全体さえ見えなくなるのだ〉
もちろん
彼は失うことを選んだ者だ
愛すべき祖国を
愛すべき人々を
自らの国籍を
全てを
理想を希求する在り方までも
失わねばならなかったのだ
こうするより他に
彼の生きられる方法はなかったのだ
〈体制に反旗を翻した者は時に
信ずる正義のために死を選び
殺されることをも誇りにする〉
しかし
彼は生きたかったのだ
自分を生かそうと思ったのだ
犬死にではならなかったのだ
彼は理想を守りたかったのだ
彼の死はそのまま彼の
孤高なる精神の消滅を意味する
それだけは
彼には耐えがたいことだったのだ
あってはならないことだったのだ
〈そして 彼は 亡命した〉
だがすぐに彼は
その皮肉を思い知らねばならない
たとえファシズムに染まり切っていても
それは彼の祖国であった
たとえファシズムを信奉する者でも
それは彼の同胞たちであったのだ
憎むものも
愛するものも
彼には一つしかなかったのだ
〈亡命より他に 選ぶべき道は なかったではないか〉
そう呟く刹那
彼はまた
自分を苛み始める
〈たとえ 殺されようとも どうして
最後まで 抗い通さなかったのか〉
時間も空間も
もはや彼の味方ではない
彼はかたく歯をくいしばり
じっと思い詰めるだけだ
彼の苦悩が
愚かな失敗によるものではなく
譲れない成功の結果だからだ
だるまと車掌
奴の現在の在り方を、例えば「忘れられただるまさん」と言うことができる。人々の幸せを祈りながら、ただじっと、手も足も出せないまま黙っていることより、仕事はない。その上、いつの間にかだれもがその存在を忘れている、いつまでも両目を入れてもらえない、そういうだるまさんが、よくある、それだ。
また、例えば「ワンマンバスの車掌」とも見ることができる。既に役割は無くなっている、今の状況を分かりながらも、お客さんとは違うだけの気持ちを持っているのだから、質がよくない。結局のところ、お客さんと同じように座って、終点までバスに揺られるよりない。もう、役割は既に終わっているのだ。お客さんならば、目的地に着くためにバスに乗っているわけで、それでいいと言えるんだが、目的とすることを何もしないまま終点に降り立った車掌は、ようやく、自分の存在価値を、考え始める。
いつの時代も、時の流れとともに、必然的に不要のものとなり、歴史の彼方へと、忘却の彼方へと、いつの間にか遠ざかるものがある。そういうとき、ほとんどのものはひどくさりげなく、消え、あまりに静かだ。それが引き際の理想、だから、達人のように、奴もそういう風にやってみたかったが、そこまで自然にはなれなかった。どんどん廃れる自分を、そこまであきらめきれない、奴は達人にはなれなかった。
そうして、ほこりを被っただるまさんは、というと、ついに旅に出る、決心をした。一方、不器用な車掌さんは、というと、ついに転職の、決心をした。ちょっとばかり、遅すぎる決心ではあるのだが。
考えてみりゃ、滑稽な話、それでおしまい。
大砲
ずどんと大砲が鳴ったあとの 僕の心の中を支配する余韻が しつっこくてやりきれない 頭痛のガンガンする痛みには もうあきらめもあるが しかし 僕の心の中を埋め尽くすもの 大砲の余韻が鳴り止まないのだ 大砲は僕の上にある未来をめがけて そこには多少のデフォルメもあろうが 図太くて鈍い音とともに 天高く打ち上げられたのだ それなのに まだ砲丸は落ちて来ない 落ちて来ないが 空砲などではあり得ないはず 確かに それは僕が打ち上げたのだ いつもいつも ずどんと大砲が鳴ったばかりで 余韻が鳴り止まないまま 砲丸もまだ落ちては来ない
知恵の輪
知恵の輪にかかりっきりだ 本当は 永遠にはずれないさだめの インチキの知恵の輪なのかもしれないのだ いつか ふとしたはずみに 自然のようにはずれるような気がするのだが 今のところは一向駄目だ インチキの知恵の輪なのかもしれないのだ だれが仕掛けたいたずらなのか知らず 気づいたときにはもう握っていた 幼い僕は手の中にある 時代遅れなそのおもちゃで 無心に遊び始めていた 力を入れて あるいは抜いて 引っ張ったりひねったり押したりもした いろんな角度も試してみたし あらゆる姿勢でやってもみた 時折は その時が来たかと思ったこともあったが それは単なる思い違いで やっぱり結局駄目だったのだ この知恵の輪だけはどうにもいけない いくらやっていてもはずれない いっそやめちまえば良さそうなものだが そうもゆかない やめられないのだ おふくろのお腹の中にいたときにさえ もうしっかりと握られていたのではなかったかと 僕には思われるのだ この知恵の輪が僕のものだから はずすのも僕でなければならないのだ 何はどうとあれ やめられないのだから たちが悪い 何はどうとあれ 知恵の輪にかかりっきりだ
弱音を吐くが
たくさんの裏切りに ちょっとばかり疲れてしまったよ ちょっとばかりいけないよ ずいぶんと 裏切られることにも慣れてきたとは 思うのだがまだまだ やっぱり悲しいというのか やり切れないじゃないかよ やってらんないくらい寂しいよ
無題
止まった空間には 凝縮された生命が放蕩を始め 瑞々しい若さで傾いてゆくのだ 止まった空間には 地球の運命が暗示され 無機的な笑い声が気味悪く響き 涼しい血のためには頭痛を容認する 止まった空間には 生活の一端が溢れ出し 純血のために捧げられた祈りが さざ波となって静かに遠のいてゆく いつしか自分の周りには 海だけがある 止まった空間には 永遠に明日が来ない 永遠に昨日のまんまに座り込み 今であることの価値は永遠に消失し ついに人間がどうでもよくなる
六月
雨が上がり 空が明るんできたせいで 僕はなんとなく 無口の今を持て余している 僕の心は なんだか たまらなくなっているのに…… ほら いつもと同じく働く僕は サーカス小屋が お似合いだ サーカス小屋こそ お似合いだ 〈そらそら そこゆくお嬢さん お代は観ての お帰りだ 観なきゃ損々 お入りな 日本一の サーカスだ〉 日本一とはよく言ったもので 当たり前ぐらいのラッパが鳴って 嘘はつかぬと嘘ばかり 〈手前が道化を つとめます 手前が道化で ございます〉 梢のところで 風が ほら ほらほら 拍手をくれている