がテーマ: 別れ

秘密

めぐみには
秘密がある
心に決めて
秘密にした
動かせない
思い

手紙

純粋な少女のくれた手紙を
古いノートの間に見つけた
私の書いた小さな詩を
とても素敵だと言ってくれたのだ

ためらいがないどころか
あんまり素直に心を打ち明けていて
私はなんだか今にも
優しい気持ちを誘われてしまう

あの娘が
どんな気持ちで手紙をくれたのかは
あの時にだって分かっていた
どんな気持ちで暮らしていたのかを
悲しいくらい私は知っていた

私の手元には
少女の純粋が今も残って
一つの勇気を与えてくれている
あの娘の手元にも
私の書いた詩が
まだ あるのだろうかしら

宛名書き

年賀状の宛名書きを
パソコンで手伝ってやるのは
ここ数年の私の習い

昨年の住所録を印刷して
母に渡してやると
一年前に頂いたお賀状の束と
ひとしきり時間をかけて
照らし合わせている

しばらくすると
私の部屋にやって来て
出す人とそうでない人
小さな印でよりわけた住所録を
遠慮がちに私に差し出す

私が受け取ろうとのぞき込むと
「この先生、死んじゃった
 いい先生だったのに」
指先で一つの名を押さえてつぶやくと
母は急に涙ぐんで
それなり逃げるように
背中を丸めて部屋を出ていく

乙女なりし母の
涙をすすりあげる声が
なおも静かに聞こえつづける

黄色の光

看板が斜めになり
くすんだペイントの中にある黄色の
妙に鮮やかな光を放っているのが
実は君であるということを
僕はとうとう告げることなしに
今日まで時間を終えてきてしまった

そうしてブリキの看板を
きちんと立て直す術も持たず
それでも黄色い光のところから
目を離せないまま
ぼんやり見守り続け
ほうりゃとばかりに
時たま思い出して自分の
ずいぶんと色あせた情熱のかけらをちぎっては
ばおんと看板にぶつけてみるのだ

心なしか
看板がまた斜めになる
光は一層鮮やかだが

亡命

彼の瞳に映る世界は
未来へと確かに漸進しているはずなのだ
ファシズムに立ち向かう
彼の精神は恐ろしく崇高いではないか
亡命を決意するまでの過程を今
つぶさに振り返ろうとも
その叫びも沈黙も捧げた自己犠牲も
全ては正義への願いに裏付けられていた

〈だからこそ余計 彼はその瞑眩に
 自らの全体さえ見えなくなるのだ〉

もちろん
彼は失うことを選んだ者だ
愛すべき祖国を
愛すべき人々を
自らの国籍を
全てを
理想を希求する在り方までも
失わねばならなかったのだ
こうするより他に
彼の生きられる方法はなかったのだ

〈体制に反旗を翻した者は時に
 信ずる正義のために死を選び
 殺されることをも誇りにする〉

しかし
彼は生きたかったのだ
自分を生かそうと思ったのだ
犬死にではならなかったのだ
彼は理想を守りたかったのだ
彼の死はそのまま彼の
孤高なる精神の消滅を意味する
それだけは
彼には耐えがたいことだったのだ
あってはならないことだったのだ

〈そして 彼は 亡命した〉

だがすぐに彼は
その皮肉を思い知らねばならない
たとえファシズムに染まり切っていても
それは彼の祖国であった
たとえファシズムを信奉する者でも
それは彼の同胞たちであったのだ
憎むものも
愛するものも
彼には一つしかなかったのだ

〈亡命より他に 選ぶべき道は なかったではないか〉

そう呟く刹那
彼はまた
自分を苛み始める

〈たとえ 殺されようとも どうして
 最後まで 抗い通さなかったのか〉

時間も空間も
もはや彼の味方ではない
彼はかたく歯をくいしばり
じっと思い詰めるだけだ
彼の苦悩が
愚かな失敗によるものではなく
譲れない成功の結果だからだ

だるまと車掌

 奴の現在の在り方を、例えば「忘れられただるまさん」と言うことができる。人々の幸せを祈りながら、ただじっと、手も足も出せないまま黙っていることより、仕事はない。その上、いつの間にかだれもがその存在を忘れている、いつまでも両目を入れてもらえない、そういうだるまさんが、よくある、それだ。
 また、例えば「ワンマンバスの車掌」とも見ることができる。既に役割は無くなっている、今の状況を分かりながらも、お客さんとは違うだけの気持ちを持っているのだから、質がよくない。結局のところ、お客さんと同じように座って、終点までバスに揺られるよりない。もう、役割は既に終わっているのだ。お客さんならば、目的地に着くためにバスに乗っているわけで、それでいいと言えるんだが、目的とすることを何もしないまま終点に降り立った車掌は、ようやく、自分の存在価値を、考え始める。
 いつの時代も、時の流れとともに、必然的に不要のものとなり、歴史の彼方へと、忘却の彼方へと、いつの間にか遠ざかるものがある。そういうとき、ほとんどのものはひどくさりげなく、消え、あまりに静かだ。それが引き際の理想、だから、達人のように、奴もそういう風にやってみたかったが、そこまで自然にはなれなかった。どんどん廃れる自分を、そこまであきらめきれない、奴は達人にはなれなかった。
 そうして、ほこりを被っただるまさんは、というと、ついに旅に出る、決心をした。一方、不器用な車掌さんは、というと、ついに転職の、決心をした。ちょっとばかり、遅すぎる決心ではあるのだが。
 考えてみりゃ、滑稽な話、それでおしまい。

御坂峠

開けた景色が見たくなって
BMWで御坂峠に行った

学生時代
太宰さんのいしぶみを訪ねた
富士山と河口湖の
大きな景観
真っ暗なトンネルの手前
なんだか淋しいような気になる
あの
御坂峠

「月見草」の碑の前に立ったら
二十歳の頃に愛した人を
どうして失ったのかと
ついといたたまれなくなって
天下茶屋の山菜そばを喰い
元気になったようなつもりで
帰ってきたが

流れ

流れながれて
やがては僕のところを
ふうという音を立て
去って行く水鳥たち

ままならぬこの
太陽と月との
物理的な
真実の中

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