その1

 小さな池があった。この池はいつでも水が緑色に濁っていた。水草が一面に浮遊していた。池の周りは雑木林と小さな広場で、近くの子供たちの遊び場になっていた。小さな池とは言っても、凡人が精いっぱいの力を込めて石を投げたところで、向こう岸までは届かない。大方の場合は、池の真ん中を少し越えたあたりで、ぽちゃりと小さな音を立てて落っこちる。
 生意気にカエルも住んでいて、夏が来ると夜が深まるにつれて鳴き声が大きくなる。その声がうるさいものだから、近頃ではこの周辺の家々は、防音効果抜群のアルミサッシで窓を張り替えた。
 昔はうるさいのを我慢して、網戸で暑さを凌いだものだが、とうとう一昨昨日だったか、最後まで残っていた家もクーラーを入れて、ここいらでクーラーの無い家は無い。
 そろそろ今日も夕暮れ時を迎え、子供たちが家路につき始めていた。池の周りで遊んでいた子供たちも、三々五々散って、たちまち小さな池の広場も寂しくなった。
 と、そんな時、池の方で大きな声が上がった。それは、しきりに助けを求めているらしい、子供の悲鳴だった。帰路にあった子供たちは駆け足で池の方に戻った。池のほとりに集まったのは、子供だけであった。
 後から来た少女が、先に到着していた子供の波に向かって訊ねた。
 「一体全体、何があったの。あの子、どうしたの。」
 それに応えて、子供たちは口々に何とか言った。あまりばらばらに皆がしゃべったのでは、何がなんだかちっとも分からないので、少女は順番に言ってもらうことにした。
 一人の子が言った。「あれはねぇ、自分でいかだを作ってね、そんでねぇ、あんな真ん中まで、…あ、行っちゃったんだよ。きっといかだが壊れちゃったんだよ。」
 一人の子が言った。「えーっ、ちがうよぉ。あれは河童の子だよ。親河童に叱られて、助けを呼んでるんだ。河童が住んでるって、うちのとうちゃん、言ってたもん。どうしようか、助けられるかな。」
 一人の子が言った。「あれは泳ぎの名人だわ、まだ子供なのによく泳げるのよ。でも、真ん中まで行って、とうとう精が尽きてしまったんだわ。帰りのこと考えなかったバカよ。」「おお、足がつってるのかもな、うん。それはあり得る。」
 一人の子が言った。「何だ、おまえら知らねえのか。あいつはいつも同じ事してたんだぜ、夕方皆が帰ってからいつか驚かせようってこっそり練習してたんだ。でも、俺だけは、知ってたんだけどな。はっはは・・」
 「そうそう、目立とう精神だよ。タケノコ族と一緒さ。ほらほら、もう皆帰ろうぜ。いつまでも見物してるとあいつ癖になるぞ。」「あ、俺も知ってる。タケノコ族ってテレビで見たことある。ある。あぁれ、いいよなぁ。俺もやってみてぇ。」
 一人の子が言った。「あん人ぁ、かあちゃんに怒られて、殴られるのが嫌だから、池の真ん中に逃げたんだよ、きっと。おらぁ、気持ちわかる。すんげぇわかる。」
 一人の子が言った。「俺なんかすっごいぞ。空から降ってきたのを見たぞ。俺が一番最初に見つけたんだ。きっと雷さんの子供だ。俺が飼うから、だれか捕まえてきておくれよ。」「いや、俺んちの方が飼えると思うなぁ。」
 そのとたんのことだ。一斉に子供たちが声を上げた。いろいろな調子の「わぁーっ。」という声だった。
 池の真ん中で、ばたばたと水飛沫をあげて浮き沈みしていた子供が、とうとう力尽きて沈んでしまったのだ。
 子供たちは、一つの見世物の幕が降りたときのように、嘆声やら笑い声やら、もう終わりなのかという不満そうな声やらを、それぞれに口にしながら、何事も無かったかのように家へ帰っていった。

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