夢を追いかける人のきららかな表情を すっかり信じて微笑する 僕は馬鹿だよ ひたむきに行う人の 明るい顔を見ていると 悲しむべき僕の感情がついにはなくなり 嬉しいばかりの僕が出来上がって 得意になる 僕は馬鹿だよ 《「純粋」などあるわけないさ》 そうだろうか そりゃあ僕にも分かっている(分かっていない?) 分かってはいても もっと何かありそうに思われて 諦めきれないでいる 僕は馬鹿だよ 馬鹿でもいい なんて開き直る 僕は馬鹿だよ
人生
へたをすると 馬鹿馬鹿しい芝居にだって 心の底から笑うようになる 心の底から泣くようになる あるいは どちらもできなくなる
理想
求めることをやめてしまえば 味気ない四拍子に暮らし ついと思い詰めてしまいそうで 周りの人たちを眺めながら 人生の意義などを考え直しては やっぱり理想を求めるに限ると 結論するのである
独り

独りであることを 詩にしてみようと思ったが ならない 仕方がないので それを詩にした
ある日の暮れ方
よどんだ夕空の下にある 交差点の信号あたり 僕の車は止まって順番を待ち その中の僕はさっきの女との たわいないやり取りを考えながら 薄暮の中に灯っている全ての電灯が 次から次にパンッパンッと音を立てて 割れ尽くしてしまえばいいような気がしている 街灯もテールランプも信号も割れて ちかちか動く色彩の光が 不機嫌な空のあくびに飲み込まれちまうのを 息を凝らして陰謀するのだ きっと清々するに違いないなどと思ってみるのだ 本当にそうだ そんなことが起こったら ちょっとは愉快に笑えそうな気がするのだ
サタン
私の夢をそそのかして 連れ出したのは だれ? サタンか? それとも! いじけた 寝不足の 不健康な 病んで縮んだ ばからしい この胸の痛みよ サタンではない サタンではない サタンは信頼を欺かない サタンが釈明しないのは サタンの寛容を意味するばかりだ サタンの強がりを だれも知らない それだけなのだ たいがい 欺くのはいつも 夢の方だと決まっている
知恵の輪
知恵の輪にかかりっきりだ 本当は 永遠にはずれないさだめの インチキの知恵の輪なのかもしれないのだ いつか ふとしたはずみに 自然のようにはずれるような気がするのだが 今のところは一向駄目だ インチキの知恵の輪なのかもしれないのだ だれが仕掛けたいたずらなのか知らず 気づいたときにはもう握っていた 幼い僕は手の中にある 時代遅れなそのおもちゃで 無心に遊び始めていた 力を入れて あるいは抜いて 引っ張ったりひねったり押したりもした いろんな角度も試してみたし あらゆる姿勢でやってもみた 時折は その時が来たかと思ったこともあったが それは単なる思い違いで やっぱり結局駄目だったのだ この知恵の輪だけはどうにもいけない いくらやっていてもはずれない いっそやめちまえば良さそうなものだが そうもゆかない やめられないのだ おふくろのお腹の中にいたときにさえ もうしっかりと握られていたのではなかったかと 僕には思われるのだ この知恵の輪が僕のものだから はずすのも僕でなければならないのだ 何はどうとあれ やめられないのだから たちが悪い 何はどうとあれ 知恵の輪にかかりっきりだ
紋白蝶
ぼんやりと 海をあこがれていると 微かな風が吹いてきた 遠くに 紋白蝶が振り子のような 往復運動をしているのが見える ずいぶんと遠くなのに どういうことだろう はっきり見える 夏が近付いたための 僕の悲しみのせいかもしれない そんなくだらない考えが 遠くを往復運動しているうちに 紋白蝶を見失った ぼんやりと 海をあこがれていると 微かな風も吹いて来ない どちらにしても 夏が近いということだろう
流れ

流れながれて やがては僕のところを ふうという音を立て 去って行く水鳥たち ままならぬこの 太陽と月との 物理的な 真実の中
弱音を吐くが
たくさんの裏切りに ちょっとばかり疲れてしまったよ ちょっとばかりいけないよ ずいぶんと 裏切られることにも慣れてきたとは 思うのだがまだまだ やっぱり悲しいというのか やり切れないじゃないかよ やってらんないくらい寂しいよ