Archives: 2020年6月13日

古びた小箱

古びた小箱の手書き画像
みっともないくらい
ひたむきになりたい
古びた小箱を
涙を流して守り通す
子どもみたいに

まずまず

まずまずだ
何ということのない
僕の人生のことだけど
一人僕だけは
見捨てないでいこうと思う
一人僕だけが
思うようにならないというのでも
なさそうに思われるから

無題

生涯の
思い出は
さりげなく
ここにある
ものだ

ロミオとジュリエット

ジュリエットは
ロミオがロミオであることを
どうしてと問い
家を捨て
名を捨ててくださいと
願った
互いの運命が
不幸な前提のもとに始まったことを
その時すでに知っていたからだ

僕は僕で
自分が自分であることに
どうしてと問うたことこそあったが
あなたが
今のあなたであることほど
僕には深刻ではなかったのだ

僕たちはだれしも
ようやく出会うその前に
それぞれの前提を身にまとい
簡単ではない存在になっている
生きているだけ
たくさんの鎖につながれ
予め決まったその長さの限り
僕たちは呑気でいられる

そこへやってきて
恋ってやつは理不尽だ
人が油断している隙に
何もかもお構いなしで
あらゆる鎖を
引きちぎろうと暴れ出すのだ
手に負えない勢いで
僕の中で暴れ回り
純粋に存在することを
僕に求める

呑気に飼い慣らされてきた僕は
自分にかけられた鎖を
見つめ直し
握りしめて
そのまんま立ちすくみ
途方に暮れる
真実と嘘と自分が
わからなくなる

雫(しずく)

旧道のトンネルの中は
いつも暗く
ひんやりとしている
まるで永遠のような
その静寂の中を
ひときわ冷たい水の
雫の落ちる音が
響くとき
響くとき
少しだけ
時間の流れがひずんで
後戻りするんだが
後戻りするんだが

祈り

捧げられた「祈り」の分だけ
人々の生涯は
確かに幸せになって
きたのだろうか

信仰というものが
ろくにないんだから仕方も無いが
僕の場合にはどうにも
祈りという祈りが
いつもいつも
無力だった気もする

祈りというのは
限界にまで至ったときの
無意識の呟き
のことかしら

全力の果てに絶望がつくりだす
まじないのことば
のことかしら

言葉にもならぬまま昇華する
涙の結晶を天に送る
自然のしぐさ
のことかしら

いずれにしても
僕のはどうにも
効き目がないんだ

水平線

水平線がまあるく
どうやったら見えるんだろう
まだ本当には
そう見えたおぼえがないんだ
ないしょだけど

奈津子

 「奈津子は初めからいなかった」
 そう言っても
 何も差し支えはないんだが……

子供らに人生なんかを説いて
僕の人生が終わってゆく
終わってゆく

 馬鹿げちゃいるが もしもの話
 誕生したその時
 終わっていたと仮定したら
 僕という存在は
 どこへ向かって行ったのだろうか

奈津子の遺影が
仏壇の中から
前触れなく消えた
そういう日があった
古びた小さな木の額ごと
白黒写真が消えていた
確か
僕が高校生だった頃だ
その子のために用意された
白い産着に包まれて眠る
奈津子という名の
赤ん坊の写真が消えた

(奈津子というのは
 僕の姉として存在したはずの
 一度も存在しなかった人の名だ)

僕はそのまま
取り立てて聞こうとも
しなかった
そのまま
奈津子の写真が戻らない
それならそれで
きっといいのだと思ったからだ

 僕の人生が
 今 あるように
 奈津子の人生は
 あるはずだったろう
 父や 母の
 人生があるように
 奈津子の人生は
 あるはずだったろう

僕は小さいときから
姉さんが
確かにいるような気でいたんだ
馬鹿げちゃいるが
僕の人生と一緒に(僕だけじゃない?)
奈津子の人生はあったのだ

 ……そういう気もする
 今だから言えるんだが

たぶん

世界中に毎日
絶滅している生物が
たくさんあると聞くが
その終わりはきっと
人知れず
あっけないものなのだろう
終わってみれば
結構あっけないものなのだろう
終わったんだか
何だか
よく分からないような
ささいな
出来事なのだろう

亜熱帯の森林が伐採され
地球のオゾン層が破壊され
物言わぬ海に
最後のツケは回され

人間の横暴を責めてみるのも
何だか絶望的に思われるばかり
今さら原因が何かと
問い直してみたところで
たいした手だては見つからない
みんな
自分のことだけで
精一杯なのだから

「たぶん それでいいんだよねえ」

そんなふうに
大概のものは
結構あっけなく終わるものなのだから
人の人生が
終わるときであっても
そしてたぶん
人の歴史が
終わるときであっても

「たぶん それでいいんだよねえ」

いいわけないじゃないか!
と
だれでも口を揃えて言いはするだろうが

霙(みぞれ)

霙の中を
卒園式帰りの母子が
傘をさして通り過ぎます
着飾った若いお母さんは
子供の制服の胸にあるリボンと
ちょうど同じようなピンクの
きれいなスーツを着ているのです

冷たい霙は
傘の上にもうっすら積もって
子供の黄色い傘には
ちょっと重たそうに思われるのですが
どうやらへっちゃらみたいに
ぜんぜんお構いなしに
子供は飛び回って歩くのです

茶色い雨傘の中で
それを微笑ましく眺めながら
だれが立ち止まってみても
何者も気付きはしない!
そういう春の昼下がり
冷たい霙は
一向に降り止みません

冷たい霙は
私の上にも積もっているのかと
そうやって思い至ってみると
それは何だか結構うっとうしく
やけに重たく
道端でふと
何だか泣きたいような気分になって
けれどまた
もう一度歩きだすより他に
私にはなかったのです

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